ありがとうという言葉
感じて書くと
有難い
さてなにが有ることが
難しいのか
無いことは簡単で
有ることが難しい
さてさてなんでしょう
お金 金品
確かに
なかったら困ります
では泥と金品、どちらが大切?
金品!
ではタネを植える時はどちらが大切?
ね?
それぞれには役割があるものです
お金があることに
有難いと拝む姿はあまり見たことない気がしますね?
確かにあるとありがたいですが、
では話を戻して
昔昔
ないのが当たりまえ
あるのが難しいもの
それは命、生きること
そして、今日も食べられること
これですよ
医学も衛生も整わず
生まれてすぐ死ぬことも
疫病が流行れば、すぐに死んでしまう
生きること難しいなぁ
不作、凶作
今年は米ができない
でもお上に納めなければいけない
食べること難しいなぁ
私達は今日も
運良く生きられた
家族で食べることができた
嬉しいなぁ
有難いなぁ
これがありがとうです
施餓鬼というありがとうを分け与える仏教の教え
たくさん宗派や教えがありますが
本来、正当な仏の教え
施餓鬼という教えがあります
わかりやすくいえば
ありがとうという気持ちをみんなに分けようっていう行事ですよ
いつからでしょうか
私達の幸せが 携帯電話、スマホ、テレビになったのは
いつからでしょうか 幸せがリゾートや旅行になったのは
いつからでしょうか 外食にでても、携帯電話を触って 味を感じなくなったのは
いつからでしょうか 家庭の味を忘れたのは
いつからでしょうか 食べる喜びを失ったのは
いつからでしょうか 家族で食べるご飯がなくなっていったのは
施餓鬼は 仏教が皆さんの心に訴えるのは
思い出していただきたい 家族みんなでご飯を食べられることが本当に幸せということ 初盆を迎えたみなさんの大切な家族と食卓を同じにして
それが実は幸せな時間であったこと
そしてさらに遡れば
食べること
食べられること 本当は何よりも何よりも幸せで大切なこと おいしいと思うのではなく 食べられることが美味しいということ
また今日も食べられた、美味しい これが有難いなぁという言葉です
そして施餓鬼のもう一つの意味は 私たちの先祖に
また
見知らぬ誰かの為に 誰にも祈ってもらえない 見知らぬ霊たちのために 幸せを願い食べるものに困らないようにと 手を合わせること 見知らぬ誰かに手を合わせること これは難しい
意味がない いえ、 私たちは仏教です
動物は懺悔も、見えない何かに祈ることもしません 私たちは人間であり仏教です
ほんの少しだけ、一年のほんの数分だけ、1 時間だけ だれかのために 手を合わせ食べるものに困らんようになぁ
と祈る 人間にしか、仏教にしかできない大切な心です
コンビニに入る時 目的のものを手に入れます
もしこの施餓鬼や、お寺の法事に参加することは 私たちの自と他の幸せを願うこと そしてそれは必ず善の行いとして 自分に返って、幸せを手に入れる縁になっていくのです
合掌
淨土寺 忌部